「お母さんは家族の太陽だから笑ってなくちゃ」という罠
どうも、“ココロとカラダの翻訳家” 礼揮(らいき)です♪
先日、妻からある質問を受けました。
「お母さんは家族の太陽だから笑ってなくちゃ」なんて世間でいうところの良いお母さん像を追い求めている間はなれなくて、「もうどうでもいいや」そう思ったら自然に笑顔のおかーさんになっていた。
これはどう説明したらいいの?
詳しいことは妻のブログに書いているのでソチラでご確認ください。
妻の質問に対して、僕の考えを書いてみます。
「お母さんは家族の太陽だから笑ってなくちゃ」という観念は、それ自体が責任という重荷をその観念を抱いている人に背負わせます。
責任感によって奮い立ちやる気が出る場合もありますが、責任が大きければ大きいほど、概ねその重圧からの逃避行動を誘発します。
妻は元々、自己否定や被害妄想にいってしまう傾向にあるので、育児に対しても、自分が息子とどのように接するかによって、息子の人生が大きく左右されると考えてしまう傾向が強くありました。(もちろん、幼少期における親との関係がその後の人生に影響を与えるのは間違いないとは思いますが、それが全てというわけではありません)
自分が息子とどう関わるかによって、愛する息子の人生が大きく変わってしまうと考えていれば、そこから逃避するための選択肢として「自分と関わることで息子の人生をダメにしてしまうくらいなら、息子と極力関わらない方が良い」という選択肢があってもおかしくはありません。
妻が子どもと遊ぶのが苦手、子どもとどう接したらいいかわからない、と思っていた背景には、もしかしたら無意識のうちにそんな選択をしていたのかも知れません。
それが、コントロールを手放すことで、その責任から解放されて息子と関わることに抵抗がなくなり、気が付けば隣に並んで遊べるようになっていたのだと推測できます。
さらに、育児に関わらず、誰かに対して「それはダメ」と禁止していることは、自分に対しても禁止していることです。
禁止するとかコントロールするとかいった行為は、自分や誰かを守ろうとすることから始まりますが、それは同時に守る対象の可能性を制限することにもなります。
禁止やコントロールは「守る」ためのものですから、そのエネルギーを視覚化すると大抵「鎧」のようなイメージで脳内に映し出されます。
ほとんどの人が、この鎧を身に纏っています。
この鎧は決して悪いものではなく、間違いなく守ってくれているものです。
ですが、攻撃してくる敵がいなくなっても、自然にその鎧を脱ぐことはあまりありません。
ほとんどの場合、いつか再び攻め込んでくるかも知れない敵に備えて、常に臨戦態勢にいるのです。
臨戦態勢に入っていれば気が休まることがありませんし、鎧を身に纏っていれば、当然のように動きが鈍くなります。
大きくて頑丈な鎧ほど、身動きが取り辛くなり体力も気力も消費します。
なにかのキッカケで鎧を脱いでも安全だと腑に落ちるか、意識的に脱ぐことが必要です。
実際に、鎧を脱ぐイメージワークをすることで、カラダが軽く感じられ、なにか新しいことに取り掛かる抵抗感も軽減され、実際に行動するスピードも速くなったりします。
全般的にエネルギーの流れもスムーズになり、体調や運がよくなるという効果もあったりします。
まとめると、今回の妻の質問に対する僕の答えは以下の2点です。
- コントロールを手放し、息子を信頼して“息子の人生の舵取り”を息子自身へと明け渡したことで、自分に科していた重荷から解放され、無意識にあった息子と関わることへの抵抗がなくなった。
- 常に臨戦態勢にあったのが、鎧を脱ぎ捨てて戦いをやめたら、自然に笑えるようになった。
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