明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)
『明珠在掌』(みょうじゅたなごころにあり)という禅の言葉があります。
“ちゃんと誰もが、その手のひらに宝を持っているんですよ。
そのことに気付いてくださいね~”
と、いった意味の言葉ですが、それはなかなか難しいことですよね^^;
たくさんの人たちのお話を聴かせてもらっているうちに、
その言葉の意味が少しずつわかるようになってきました。
別に自分を誰かと比較する必要なんてないんだ。
同じことをしていても、必ずその人なりの味が出てくるし
寸分違わぬようにマネすることなんて出来ないし、する必要もない。
自分の中にある宝石をしっかりと磨いていけばいいだけなんだと。
そのことを意識して、自分のやりたいことにエネルギーを向けたとき、
「なんて楽しいんだろう♪このことをまだ知らないひとたちに伝えていきたい!」
と、思いました。
「池田鍼灸院」から「たなごころ」に改名して僕がやりたいこと、それは。。。
「自分が受け取った愛と光をまた次へと伝えていきたい」ということです。
僕がすごくすごく苦しくて泣きたくて、
どうしたらいいのかわからなくなっていたときに助けてもらったように。。。
自分自身を信じて、人を妬んだり羨んだりしないで、
もっと楽しみながら前へと進んでいけるように。。。
そのために僕自身、まだまだ
たくさんの人からいろんなものを感謝して受け取らせてもらいます。
それをまた、次へと伝える。
この循環がきっと永遠に続いていくのではないかと感じています。
《以下、「ほっとする禅語70」石飛 博光 (著) より》
明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)
眉間にシワが寄っていますよ。
何が不満なのですか?
あなたは自分の持っている宝に全然気付いていない。
どこにあるかって?
その手の中です。もう掴んでいるんですよ。
明珠とは、計りきれないほどの価値がある宝です。
それがあなたの掌にあると教えてくれている言葉です。まだ気付きませんか?
あなたはどこか遙か遠くに宝があると思って、一生懸命それを探しに行こうとしている。
ここには無いんじゃないか、故郷に置いてきたのか、日本では無いのか、この仕事を続けても宝には到達できないのではないか。この人と一緒にいてもダメなのか。
あなたは自分の掌を見ようともせず、まだ遠くに取りに出掛けようとしている。
でも、お坊さんだって自分が宝を持っていることに気付くために修行を重ねます。
自分をよく知ることは簡単そうに思えますが、かなり難しい事なのです。