色づく世界【part.1】
おまたせしました【自分史】
シリーズの続きです。
僕は今とても幸せですが、過去には人並みに辛い事を経験しました。
僕が経験したことと同じようなことで、今、苦しんでおられるなら、その人たちの心を少しでも軽く出来るならと、このブログテーマでの記事をもっと書いていこうと思います。
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さて、父との関わりや勤めていたところの分院長との関わりで、「死」に対する執着が一層強くなったわけですが。。。
勤めていた整骨院を辞めて、柔道整復の学校も辞めた後、2年ほど殺されるかも知れないという恐怖を感じながらも、自分には他に出来ることがないという理由で、リラクゼーションマッサージのお店や友達の紹介してくれた整骨院で勤めていました。
整骨院に勤めていたときに、医療用品の仲介業者を介して、以前勤めていた整骨院の総院長(師匠)が僕のことを探していることを知りました。その時に勤めていた整骨院のオーナーが上手く誤魔化してくれて、見つからずに済みましたが、それから暫くの間は恐怖と不安に押しつぶされそうでした。
それから色々な問題があり失望落胆して、その整骨院も辞めることになりました。またどこかに就職しても結局は同じように失望する結果になるに違いないと思った僕は、腕に自信があったこともあり、独立する決心をしました。
しかし、なかなか現実は厳しく思っていたような結果は出ませんでした。
そんな時に、リラクゼーションマッサージのお店で働いていたときに知り合った女性に、レイキの交流会に誘ってもらいました。
そこでは今まで感じた事の無い「幸せ」な空気が流れていました。
鍼灸の学生のときに、気功を習っていたこともあり(学校では教えてくれません)エネルギー療法は初めてではなかったのですが、そのときに習った気功は、自然からエネルギーを体に取り入れて、それを体内で練り蓄えておくという古典的な中国気功でした。
レイキは、自分はただパイプに徹して、宇宙からのエネルギーをそのまま流すというものですので、同じエネルギー療法でも全くの別物でした。
そのレイキ交流会を主催しているヒーラーの方の友人であるトムさんというセイキムレイキプラクティショナーさんが、アメリカから日本に遊びにくるので、この機会にトムさんのヒーリングを受けてみてはどうかと提案され、受けてみることになりました。
それまで交流会には参加していたものの、きちんとしたヒーリングセッションを受けるのは、トムさんのセイキムレイキヒーリングが初めてのことでした。
そのときは、トムさんのヒーリングによって起こる奇跡など知る由もありませんでした。
長くなったので続きます。