ココロとカラダを繋ぐタロット・ガイダンス

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ココロとカラダを繋ぐタロット・ガイダンス

大阪市のヒーリングサロンたなごころ池田礼揮がココロとカラダとスピリチュアルな情報を交えて健康になるためのヒントを解説します。ここでいう健康とは健全なカラダと健全なココロが一致している状態となります。

父との関わりの中で

自分史

以前の記事目立つと殺される【part.3】

を読んで

すっきりしない!続きを書いてくれ~

という声が多かったので、続いてしまいます。。。

このブログテーマ「自分史」

今の僕がどうやって作られたかを綴っています。

僕は今とても幸せですが、過去には

人並みに辛い事を経験しました。

僕が経験したことと同じようなことで

今、苦しんでおられるなら、

その人たちの心を少しでも軽く出来るならと

このブログテーマでの記事を

もっと書いていこうと思います。

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分院長に散々脅された後

仕事も学校も辞めた僕はというと

少しの間、家に閉じこもって

うだうだしていました。

その先を書く前に少し過去に戻ります。

僕の父は、僕が小学校5年生(たぶん)の時に

病気で他界しています。

僕がものごころのついた頃には

既に過労が原因で病気になり

入退院を繰り返すような生活でした。

僕の記憶の中の父は・・・

食事中に突然ケイレンを起こし

救急車で運ばれて行く父。

会社に復帰したかと思えば

転倒して血だらけで帰ってきた父。

犬の散歩から帰ってきたら

履いていたサンダルやズボンが

ボロボロになっていた父。

新しいことを記憶できなくなり

家の中が貼り紙だらけになり

それを見ては質問してくる父。

病院のベッドで

電極やチューブに繋がれている父。

そんな光景ばかりが浮かんできます。

小学4年までは遠くの病院に入院していたので

あまり父と会うことはありませんでした。

小学5年のときに引っ越しをきっかけに

近くの病院に転医してきました。

それから亡くなるまでの間

ほとんど毎日、学校が終わると

病院に直行していました。

何もすることが出来ないけど

母が少しでも休憩する時間があるのならと

そして、少しでも父と一緒にいれるならと

無力感を感じながらも、ただそこにいました。

約10年間の闘病の末

医師による死亡宣告を受けた際に

父の胸で泣き崩れている母を見て

母がどれだけ父のことを愛してるかを

子供ながらに感じました。

ところが僕は、

これでみんなが楽になるという思いで

涙の一滴も流れませんでした。

自分は冷たい人間なんではないか?

と、悩んだこともあります。

今でも、映画やドラマを見ていて

人が亡くなるシーンなどでは

感情が動き涙もボロボロ流れますが

実際に親戚や友人が亡くなったとき

涙が全く出てきません。

なぜかリアルな死に対しては

感情をシャットダウンしています。

感じたくない何かがあるのだと思います。

リアルな人の死に対しては

感情が動かないのに

死へ対する恐れというか執着というか

これまでの人生には「死」というキーワードが

常に付きまとっていました。

・死ぬと大切なひとが悲しむ。

・頑張って働くと死ぬ。

・大切な人を守るためには身を粉にして働くべきだ。

・親より早くに死ぬと地獄に堕ちる。

・父と同じように自分も早くに死ぬ。

・早く死ぬから家族を持ってはいけない。

・自分は必要のない人間だ。

・自分は何も出来ない。

今だからわかることですが

いつの間にか僕のなかには

こんな思い込みが出来あがっていました。

自分で勝手に作った思い込みを

強固なものにすべく

僕は人生を歩んできたのです。

しかし、それらの思い込みに気付き手放すことで

現実に起こる出来事も変化していきました。

そして今の幸せを実感できている僕へと繋がります。